オンライントークセッション『障害受容から考えられる社会問題』

みなさんこんにちは。作業療法士の山田です。少し前の6月25日の夜。オンラインにて『障害受容から考えられる社会問題』に関するトークセッションを開催しました。

スピーカーは、当プロジェクトのメンバー5名で、それぞれの立場から話題提供やディスカッションを行いました。

 

 

障害受容という言葉のとらえ方

まずは自己紹介に加えて、このプロジェクトに参加することになったきっかけを共有しました。

ここで印象的だったのは、プロジェクトリーダー田島の「障害受容という言葉を使って支援者が対象者の希望を奪っているという印象を持った」という若き日の臨床現場のエピソード。これをきっかけに研究を始め、このプロジェクト立ち上げに至った経緯を話しました。

また、作業療法士の太田は「医学モデルバリバリの臨床現場で自分も普通に障害受容という言葉を使っていた」が、「当事者で作業療法士の山田と関わる中で、当事者のリアルな”障害のありか”が見えてきた」と話しました。

メンバー5人に共通していたのは「障害受容という言葉」やその用いられ方への疑問で、つまるところ「障害受容の用い方を批判的に検証しつつ、障害の社会モデルを基盤とした実践モデルを作っていく研究プロジェクト」にたどり着いたのでした。

 

 

障害受容研究の変遷

司会を務めた心理学者の岡により、障害受容研究の歴史的変遷が説明されました。

詳しい内容は割愛しますが、1950年代から始まり「価値転換論」や「段階理論」の展開、1988年の上田敏による日本への輸入と1990年代の南雲による疑問、そして2000年代の田島の登場と問題提起という研究の流れが解説されました。

これは録音必須の内容でした(※残念ながら録音はされていません)。

 

 

当事者は伝える言葉を持たない・言葉が足りない

中盤では司会の岡から、当事者性を持つ山田や石原へ「困ったエピソードって?」と質問が投げかけられました。

石原は医師と対峙した時に「言っていいことか?言うべきか?の線引きに困る」とし、「伝える表現にならず医療者に届かない」というエピソードを話しました。「伝え方には正解がなく、伝わったかどうかは結果論でしかない」としました。

山田は「小さいころから困ってないことがなかったけど、何に困っているのかわからなかった」とし、「手や足が不自由なことよりも“みんなと同じ”ことができないことにしんどさを感じていた」と話しました。自分の言葉で自分の障害について語れるようになるには長い時間と苦悩が付きまとったとしました。

「障害受容は結果論なんじゃない?」と岡が疑問を呈し、「そもそも障害受容という言葉は当事者から生まれた言葉ではない=当事者性のない、違和感のある言葉」だと田島が続けました。

当事者性を取り入れていかないと、障害の社会モデルや人権の概念が医学モデル・個人モデルにからめとられてしまって、臨床現場が結局のところ医学モデル・個人モデルにかたよってしまう…そんな危機感が語られました。

 

その後は岡より「当事者研究って何?」の解説があり、田島からは「当事者は自分の当事者性をもっと肯定的にとらえられたら良いよね」と発言がありました。

当事者性を持つ2人からは、「当事者としての自分が自らを語ることで誰かを助けることができるかもしれないという”役割”を感じている」こと、「語ることで困りごとを外在化し客観的に自分の体験をとらえることができた」というエピソードが語られ、現在の当事者研究の広がりに関心が集まっていました。

 

 

障害受容という言葉の未来

終盤に差し掛かり、話題はプロジェクトが進めていく研究内容と未来のことへ。

田島の著書『障害受容再考』の中で、セラピストへの障害受容の使用状況に関するインタビューが実施されています、プロジェクトではそれに対して「過去と現在の使用状況に変化はないの?」と疑問を呈しています。そしてこれらに対して先日、インタビューが実施され、じんわりと見えてきたものがあります(※詳しい内容は割愛します)。

今回のセッションの中でも「障害受容という概念を用いるか用いないか」という議論から一歩進めて、「障害受容という概念をあえて用いないことから見えてくる支援の在り方」に話は展開していきました。この辺りは今後のプロジェクトの進め方に大いに参考となる部分でもありました。

本プロジェクトでは、障害受容という概念自体の問題に着目し、使用法ではなく、その問題を個人モデル的な見方であると定め、当事者性を肯定し、当事者性に世の中を適合していけるような支援モデルを模索していきます。

 

 

さいごに

メンバーから参加者へのメッセージも含めて感想を伝えました。

「障害受容を進められても困る」「Doingにこだわって出来ないことを突き付けられるリハビリテーションの現場よりも、ありのままで良いよってBeingを肯定してもらいたい」「健常と障害という言葉を考える機会を持ってほしい」と、2人の当事者性を持つメンバーから。

田島は「リハビリテーション現場でとらえられる当事者の生活はどこか画一的で狭くなりがち。人間の暮らしはとっても多様だよね」とし、太田は「もっと当事者に“寄り添う”“つきそう”ことを考え実行していきたい」としました。

最後には岡が「障害受容の概念を解体していく方向性が見えましたね」と明るく語り、「肯定のための科学が必要ですね」という言葉で締めくくり閉会となりました。

 

 

本当に多くの参加者(聴講者)がありました。ありがとうございました。スピーカーとしての参加でしたが、とても楽しくあっという間の1時間半でした。

今回は参加者とのディスカッションは行わないスタイルでしたが、今後は機会を見てごちゃまぜのトークセッションも企画できればと考えております。

今後の活動も是非是非チェックしていただき、積極的に参加していただければ幸いです。

 

 

山田隆司